頭悪いけど色々と考えてみるよ

http://d.hatena.ne.jp/itkz/20050205

僕の知り合いは、単に「視聴者が両足無くなって可哀想だから治療費を出すべき」と言っている。視聴者が悪いかどうか、局が悪いかどうかを全く考慮していない。とんでもない感情論であって、本来議論すべきことが一切含まれていない。
(中略)
「両足が無くなった、だから可哀想、だから治療費を出すべきだと、君は言いたいんだよね。そしてそれとは別に、裁判の上では、テレビ局もしくは視聴者が悪い、だから賠償責任があるもしくは無い。この可哀想だという主張と、テレビ局か視聴者のどちらかが悪いという主張は全く別だよ。だから分けて考える必要がある。裁判では後者しか論じないから可哀想かどうかを持ち込むべきではないよね」と言ったが、困った顔で「うーん」と言っていた。僕の顔を見ながら、こいつわかってないな、という顔をされた。

このようにどんなに論理立てて話し、相手の矛盾点を指摘してもわかってくれない人がいる。
何故だろう?どうやればわかってくれるのだろうか?
その辺を、僕の足りない脳で考えてみる。
どうしてわかってくれないか、これは3通りある*1と思う。

理解はしたが、感情的に認めたくない

主に受け手が話し手を見下している場合に起きる。普段見下している相手から核心を突くような指摘をされ、自己のプライドを守るため話し手の主張を認めない。多くの場合、受け手は既に論理的破綻を自覚しているため、自己の主張を認めさせるため権力や武力を使う。そこに理論は無く、感情的罵倒のみがつづく。
この場合は、直接指摘するのではなく思い切り下手に出て、受け手が自ら気がつくような指摘をしなければならない。

馬鹿な故に、論理的思考が出来ない

話し手に比べ受け手が馬鹿なため、話し手の論理が理解できないし、自己の言動の矛盾にも気がつかない。また、矛盾を指摘しても理解できない。幼児に掛け算を使って説明するようなものだ。この場合受け手が理解できるレベル*2まで、話し手もレベルを下げて説明しなくてはならない。

価値観の違いのため、互いの論理が成り立たない

上記のリンク先の件は、これに当たると思う。物事を論理立てるに置いて、価値観により優先する順が違う。または、無意識のうちに自分の中の価値観によりもたらされる感情により意見を決め、それを認めるための論理武装をする。価値観と言うものは幼い頃から、ほぼ洗脳に近い形で延々と形作られる。これは簡単に理論を凌駕し、かつ自分は論理的に話していると錯覚する。こうなれば、お互いの話は平行線をたどり、双方は相手の話が妄言にしか聞こえない。
アメリカではしばしば幼い頃からキリスト教を信じ込まされた科学者が、今でも持てる知識とその優秀な脳を用いて聖書を完全肯定し、反キリスト教を訴える人々をことごとく論破していると言う話を聞いたことがある。存在しないという証明は、存在するという証明と比べ圧倒的に困難だからだ。存在の証明は無数にある可能性の中から、一つでも証明すればよいが、存在しないという証明は全ての可能性を否定しなければならない。話がそれた。
この場合、受け手を納得させるには価値観の変更、即ち洗脳をすることしか思い浮かばない。


僕は馬鹿なので、間違いや矛盾が多々あると思う。見つけてくださった方はコメント欄で指摘してくださると嬉しいです。

*1:ここでは話し手に完全に非が無い場合を扱う

*2:例えの場合だと、足し算で説明する