死んだ法外い

日がな一日プログラムで動いているキャラクターを眺める。彼は唯々モンスターを狩り続ける。その横にはプログラムに頼らず、自分の力で目的を達成しようと邁進しているキャラが居る。もし、その狩が苦痛であるのなら酷く滑稽だ。プログラムにできることを自分でやる事が滑稽なのではない。それがその人にとって真に有益であるならば、それは寧ろ美しくも見えるだろう。自分にとって無益で苦痛でしかなく、プログラムで代行できるというのに、仮想のモラルを守るためか唯そのプログラムが組めない或いは持っていないため、無益で苦痛な行為に耽っていることは滑稽だ。しかし、最も滑稽なのはそれを日がな一日眺めていた自分だ。