事象の大きさとそれが心にもたらす変化

例えば、遠い国でテロが起き、多くの人が死んだとする。
例えば、僕が置いていた財布から幾ばくかの金を、友人に取られたとする。
この二つの例の内、出来事として大きなものは明らかにテロの方である。当たり前だ。寧ろ、少々の金と人の死を比べることは不謹慎と言っても過言ではない。では、この二つの事例の内、僕の心に大きく影響を与えるのはどっちだろうか。これは残念ながら金の事例の方だ。テロは僕の下種な好奇心を刺激してはくれるが、何の変化ももたらさないだろう。しかし、金を取られた場合、僕はその友人を信用できなくなる。はっきり言ってしまえば、僕に実質的影響が無いのならば、何処で誰が何人死のうとも僕には関係が無い。
小学校とかで、事象の大きさに比例する心の変化を求められていた気がするが、僕は今のところそんな人間にはなれていないようだ。これは僕が歪んでいるのか、世間が奇麗事が大好きなのか、僕には解らないし如何でもいいと思う。ただ、僕は事象の大きさに比例した心の変化をしたように見せる人間は好きではないし、事象の大きさに比例して心も変えるべきだという考えも好きではない。